先日の誕生日に、母親からLINEがきたのですが、その内容が私にとって、まぁまぁ衝撃的だったので、シェアさせてくださいね。
私はどうでもいい存在だ。
私の母親が、私からみてどんな母親だったかというと・・・
私を分かってくれない。
私を愛してくれない。
私を信じてくれない。
私を大事にしてくれない。
私のことなんて、どうでもいいんだ。
母にとって私は、そういう存在なのだと感じていました。
物心ついた頃から、母親に自分の気持ちを伝えたり、頼ったり、甘えたりした覚えが一切ないのです。
いつも、否定されていたように感じていました。
母親の機嫌を伺っていたけれど、全く従順ではなかった。
いつ怒るかわからないので、母といても安心していられませんでした。
そして、いつの間にか、大っ嫌いになってしまった。
第二子出産後、母親からの干渉に頭がおかしくなりそうになり、これはいかん。なんとかしなくては!という時に出会ったのが<笑み育カウンセリング>でした。
1年ほど会わず、自分と向き合うことで、なんと、本当は母親のことが好きだったということに気づいちゃったのです。
今では、よく孫の面倒を見にきてくれます。
母の本音
そんな母親からの、誕生日にラインがきました。
『お誕生日おめでとう。
純子は、私に貴重な経験をさせてくれましたね♫
それまでは、自分ひとり死んでも、親が涙を流すだけの人生が、産まれた赤ん坊を育てあげなくれはならない責任が出てきて必死な思いになりました。
でも、死んだらどうしようと不安な気持ちもいっぱいでした。
自分が死んだらと、純子には厳しく育てました。
ごめんなさいね。
でも、純子は、よく頑張ってくれましたね。
ありがとう。』
もうびっくりです!!
えぇーーーー。
そんな理由で、母は厳しく、ヒステリックな母だったのか!!
母の子育てが厳しかった理由は・・・
自分が死んだらどうしよう!!!
だったのです。
母にとっては、子育てに死への恐怖がくっついていたのです。
自分が死ぬ前提で子育てをしなくてはならなかった。
なぜこんな信念を持って、子育てをしなくてはならなかったかというと、母とその母親(私にとっての祖母)との関係に理由があります。
祖母は、体が弱かった。
母はよく、「子どもの頃は家のことは私がなんでもやった」と自慢していましたが、祖母はよく寝込んでいたようです。
そんな姿を見て、母はまさに自分のお母さんが死んでしまうかもしれない。という恐怖を抱えながら、幼少期を過ごしていたのです。
子どもの頃は、親がいなければ生きてはいけません。
そんな時期に、親の死を身近に感じて過ごすのは恐怖です。
親がいなければ自分だって、死ぬかもしれない。
得体の知れない恐怖を抱えたいたのです。
だから、なんとしてでも、死ぬわけにはいかないし、子どもに同じ恐怖を味わわせるわけにはいかない。
そして、自分が死んだとしても、生き抜く力をつけさせなくてはいけない。
そんな思いで、いっぱいいっぱいだったのだなぁと思います。
実は、これって珍しいことではありません。
親が病気がちだったというクライアントさんでも、同じようなトラウマを持ってみえます。
でもね、祖母は結局80歳まで生きたし、母も70歳になりますが、まだ現役の看護師で、なんなら夜勤もやっています。
元気で生きることへの執念は半端ない。
健康への執着がすごい。
健康食品が我が家にゾクゾクとやってきます。笑
母は、死ななかったのです。
そして、孫には優しいし甘い。
だって、自分が死ぬことなんてあんまり気にしなくていいものね。
厳しくする必要がなくなってしまった。
親子関係の変化
この年齢になっても、親子の関係は変わります。
嫌いになったのは、私が母を幸せにしたかったのに、母は怒ってばかりいたから。
嫌いになったのは、私が母の役に立ちたかったのに、ダメ出しばっかりだったから。
私はただ、母を幸せにしたかった。
私はただ、母の役に立ちたいだけだった。
私が、母親を大っ嫌いだったのは、大好きだったからでした。
母はただ、自分が小さい頃受け取った恐れを、私に受け渡したくなかった。
なのに、上手くいかなくて怒っちゃった。
どうにかしたくて、私を否定しちゃった。
けれど、母がそんな思いを抱えながらいたことを39歳になるまで、知りもしませんでした。
私が自分と向き合うようになったら、母も自分を振り返るようになっていたのです。
母と心がようやく、交わった。
そう感じています。
そして、素直に伝え合えることで、お互いが癒されていきます。
ありがたいことに、私は自分が死ぬかもしれないという恐怖を抱えることなく、子育てができています。
けれど、不安になりやすくて、怖がりな部分は、すっかりと母から引き継いでいます〜。
だからこそ、カウンセラーとしての生き方を選択できているのですけれどね^^
母と子の心理システムは、密接です。
世代間連鎖していきます。
それならば私は、子どもに安心感を手渡したい。
安心感って、どんな自分でも愛されているということを本人が自覚できていることです。
そして、自分の愛は受け取ってもらう価値があると実感できることです。
安心感が根付いていると、人生の中にどんな困難があっても、前に進む力になります。
子どもが安心して生きるためには、私自身が安心して生きてみせるしかないのです。
よく、不安になるし、とっても怖がりです。
不安も、恐れも0にすることはできません。
だけれども、どんな感情も見捨てないと、その後に安心感が湧き上がってきます。
質問です。
◎あなたは、どのような不安を持ちながら子育てをしていますか?
◎自分の中に安心感を育んでいくために必要なものはなんですか?
余談ですが・・・
少し前母に、
「小さな頃の私はどんな子どもだったの?」
と、聞きました。
「弟想いの優しいお姉ちゃんだったよ。
オムツの中に手を入れて、ウンチが出てないか確認してあげてた。
あと、整理整頓が得意だったよ。
几帳面だったね〜。」
とのお返事。
!!!!
お母さんのために頑張ってたな。
だから、今、整頓が苦手なんだーーーー!!!
残念!