大野純子です。
緩和ケア看護師だったころ、
人生を終える時に、
何度も立ち会ってきたけれど、
あることに気づきました。
あ、
旅立つタイミングを
人は選んでいる。
もちろん、
不慮や急性期の病では
そうはいかないのかもしれない。
それは、
亡くなる瞬間に
家族に看取られるか。
看取られないか。
そういう選択をしている。
タイミングを選んでいる。
ある人は、
ずっと付き添っていた家族が、
トイレに出ている時を選んで旅立ちました。
ある人は、
千葉から向かう息子さんが到着して、
1分後に旅立ちました。
そして、ある人は、
もういよいよだと、家族を呼ぶと、
20人くらいの親族が集まるのだけど、
その度に復活して、これを3回くらい繰り返す。
家族は、
「この人はみんなで集まるのが
大好きな人だったんです〜。」
と最後には笑われていました。
ある人は、
夫と長女さんとの折り合いが悪かった。
次女さんだけが味方だと言っていたのだけれど、
旅立つ時に、側で寄り添っていたのは、
夫と長女さんでした。
そんな最期をみながら感じたこと。
あぁ、
最期の姿を見せないという愛情表現。
最期の最後まで一緒にいるという愛情表現。
どちらにしても、
その人ができる最後の愛の表し方なんだって。
家族によっては、
看取れなかったことに、
ひどく後悔したり、
強く罪悪感を持つ人もいる。
だから、
事前にお伝えするようにしていました。
最後の姿は絶対に見せたくないという人は
どんなに側にいても、一人の時に旅立つことを
選ぶかもしれません。
それも愛情表現です。
そうすると、ご家族は
「最期を看取らなくてはならない」という
思いから離れて、側にいることができる。
だって、どちらにしても愛だから。
人って、すごいんです。
どんな時であっても、
選択する力を持っています。