大野純子です。
前回の記事では、私が母親のことを大っ嫌いだった理由が、
「私はお母さんを笑わせられない。」
という、大きな悲しみや怯えから
きていたことについてお話ししました。
結局、大っ嫌いの裏には、
大好きがあったんかーーーい。
みたいな感じと、
本当は嫌いじゃなかったことへの安堵感。
自分の中に、温かい優しさがあったことを自覚できて、涙が出ました。
そのくらい、子どもにとっては、
自分の存在がお母さんの幸せに繋がっている実感を持てるって、
大切なのです。
そのくらい、子どもって、
お母さんが幸せかどうかを、無自覚に願っているのです。
私は、母を笑顔にすることができない存在。
そんな私には価値がない。
そう、無自覚に、無意識に、
自分の無価値感を握っていました。
本当は、私がお母さんを笑顔にしたかった。
本当は、私がお母さんを幸せにしたかった。
ただ、それだけだった。
けれど、
できなかった。
と、思い込んでいたのです。
これは、完全なる間違いでした。
母はよく怒っていたけれど、
私のことが大事で仕方なかった。
ただ、愛情表現の方法が、
到底、私にそれが愛だと自覚できる方法ではなかったのです。
母も私の幸せを願っていました。
けれど、幸せを願う以上に、
私が不幸になることを恐れていたのです。
私が不幸になってしまうことに
怯えていたからこそ、
干渉したり、説教したり、
怒ることで私をコントロールしようとしました。
不幸になることへの恐れは、
愛情表現を歪ませます。
けれど、確かに愛だった。
けれど、私は長らく受け取れませんでした。
けれど、気づけてよかった。
今の母は、
孫にメロメロです。
たいして怒りもしません。笑
子どもの頃、私には、
絶対に買ってくれなかった
甘ーーーいお菓子も孫には買ってあげるし、
おもちゃもすぐ買っちゃうし、
話しもよく聞いてあげている。
本当は、母もそうしたかった。
きっと、そうしたかった。
ただ、幸せを願いたかったのだと思います。
でも、怖かった。
そうしたら、私が不幸になるかもしれないって
怖かった。
ある日、母から
「純子には、我慢をさせたね。」って、
メールが入ってきました。
我慢した。
山ほど、我慢した。
私が、我慢していたのは、
自分の感情を表現することでした。
けれど、
今、私は幸せです。
幸せを実感するために、
必要なことが何かを知っています。
そういう生き方を選択できる力を
私は持っていました。
と、いうことは、
厳しく、不器用だった母の子育ても
何も間違ってはいなかったのです。
だって、私が今幸せだから。
たとえ今日、
子どもを怒ってしまったとしても。
たとえ今日、
子どもを叩いてしまったとしても。
たとえ今日、
子どもと十分に関われなかったとしても。
たとえ今日、
子どもを許せなかったとしても。
たとえ今日、
母親失格と自分を責めたとしても。
あなたが、どんな母親だったとしても。
子どもには、幸せに生きていく力も価値も
可能性も十分にあるのです。
だから、大丈夫。
子どもが不幸になることを恐れないで。
母親にできることは、
素直に愛情を表現することです。
そして、
愛情を素直に表現するためには、
恐れを手放していきましょう。
そして、
恐れを手放すために必要なことは、
感情を感じ切る力を持つことです。
誰よりも、
自分の感情を自分自身が大切に扱うのです。
あなたは、何を恐れていますか?
本日も読んでいただき、
ありがとうございます。