メンタルケア

「どうせ私なんて」と、無力感を感じやすい人が読むブログ

こんにちわ^^

大野純子です。

子供の頃、私たちって意欲の塊でした。

純粋な欲求が沢山あって、「あれがしたい!これがしたい!」をいっぱい表現する力を持っていたんですよ。

なのに、いつの頃からか「どうせ私なんて」とか、「やりたいことなんて見つからない」っていう思考パターンにハマりやすかったり、「やりたいことを見つけても無力感に襲われて結局、行動できない」て人は、どうぞ読んでくださいね。

学習性無力感って何?

自分が何をやっても結果は変わらないと学習することで、どんな状況においても行動を起こさなくなってしまう防衛反応のことを『学習性無力感』と言います。

例えば、大野は子供の頃、掃除をしなかったら母親に怒られたの。そして、掃除をしても「ちゃんとできてない」って怒られてました。

後は、夕食を作るようよく言われていたんだけど嫌がると怒られたし、たとえ作ったとしても「色どりが悪い」って指摘を受けて、いつも後味が悪い思いをしていたのです。

やらなかったら怒られる。
そして、やったとしても怒られる。

行動してもしなくても、どのみち悪い結果が待っていました。

こういう繰り返しの中で、自分がどんなに行動しても結果が伴わないと学習してしまうんです。

そもそも「無力感」というのは純粋な感情ではないんですよ。

本来、私たちは嬉しいなら『喜び』、悲しいなら『悲しみ』、怖かったら『恐れ』、怒ったら『怒り』の感情が湧き上がりますよね。けれど、その感情を素直に表現できる機会が少なかったとしたらどうでしょう。表現すればするほど、辛い思いをしていたとしたら?

私の場合で例えてみますね。
せっかく掃除しても怒られた時。

パターン1:悲しくて泣く
→「泣いてないで、やり直しなさい!」とさらに怒られる。

パターン2:「私なりにやったもん!」と怒り返してみる
→さらに「全然キレイになってないでしょ!」って倍返しで怒られる。

みたいな感じで感情を表現すれば、さらに母を感情的にさせて怒られてしまいました。

自分が感情表現しても、受け取ってもらえず否定された体験は、感情を表現することを我慢する。とか、その感情自体を感じていないフリをする。っていうことで、自分を守ろうとします。

けれど、人間って感じないことなんでできないシステムだから、代用としてラケット感情(ニセモノの感情)を味わおうとするのです。

そのラケット感情の一つが無力感なのです。

子供にとって、悲しみや怒りを受け取られない状態ほど辛いことはありません。自分に関心を向けてもらえないのって、子供にとっては生きるか死ぬかの問題なのです。

この問題に直面し続けるわけにはいかないのです。

だから、ラケット感情を感じていた方が、悲しむより、怒るより、まだマシって感じになってしまうのです。自分を守るための手段。

自分の中で処理する方法を身につけるしかない。それが、『学習性無力感』だったりするのです。

無力感を感じることが、自分の心をこれ以上傷つけないための防衛手段だったとしたら、本当によくがんばってきたなって思います。

母は、ちゃんとできる子に育って欲しいという願いから、私を厳しく育てたんだけど、掃除をするときも、料理をするときも、いつも不快にさらされていたので、長らく掃除も料理も苦手、好きじゃないっていう感覚で、楽しむことが全然できませんでした。

周りには、「ただ怠けているだけだ」、「本人の努力が足らないんだ」って見えてしまうこともあるし、本人も「自分が悪いんだ」「やる気がなくて、だらしないんだ」って感じて、自責の念を持つことでさらに悪循環を生んでしまう。

子供の頃には自分を守るために身につけた大切な防衛手段だったとしても、大人になると生きずらさになります。

そんな体験や習慣の中で、「何をやってもダメ」と自分が自分を扱ってしまうから、結果『何をやってもダメ』な状況が起こります。

行動してもいつも期待する結果が伴わない経験を積み重ねていると、そもそも行動するのが怖いので「無力感」を使って、行動させないように心が働きます。結果、行動したいのにできない。アクセルとブレーキを同時に踏むような自体が自分の内面で起こって、すごく疲弊しちゃうのです。

実はこの状況、親子の関係でも、夫婦の間でも、職場の部下と上司の関係の中でも日常的に起こりうるんですよ。

もし、夫が、子供が、何にもしようとしない!!っていう問題が家庭の中で起こっているのだとしたら、相手の無力感を引き出してしまう関わりをしているかもしれません。

例えば、子供が宿題をしなかったら怒って、宿題をやっても、字が汚いとか、間違ってるとか指摘してしまう。

夫婦で言えば、夫が家事をしなかったら不機嫌になって、家事をしたとしても、それじゃダメとか、なんでこうできないの?とか文句を言ってしまったり、、、まぁまぁ似たような出来事に、身に覚えがあるのではないかしら??笑

もちろん、『学習性無力感』を手放す方法はありますよ。

『学習性無力感』を手放す方法

①自分で自分を理解してあげる。認めてあげる。褒めてあげる。

小さな「私もやればできるね。」を積み重ねていくことです。

自分を信じてあげる。これがすごく大切。

子供の頃は、親の加護の中でしか生きていく手段がなくて身につけたのが「学習性無力感」だったとしても、大人になった今は、自分が自分のことを評価してあげられる。

私は子供の頃、母に掃除は自分がしたいタイミングでしたいよって伝えたかった。
もし、お願いされてやったとしたら、褒めて欲しかったし、完璧にできなくても見逃して欲しかった。

料理だって、作りたくないときは理解して欲しかった。
作ったものを否定するかのように指摘をするんじゃなくて、どんな風に作ったらいいのかを優しく教えて欲しかった。

私の気持ちを分かって欲しかった。

たとえ、期待に応えられなくても受け入れて欲しかった。

子供の頃、果たせなかった願いを叶えてあげられるのは、今の自分だけ。

何をやってもダメなんかじゃないよ。
十分がんばっているのを知っているよ。
そう伝えてあげられるのは、今の私自身です。

②感情を感じ切ってあげる

無力感に襲われたら、その感覚を十分に味わってください。必ず、体のどこかが反応しているはずです。

無力感を味わうと、その先に本当は怖かったんだなぁ。悲しかったんだなぁと、本当の感情が湧き上がってきます。

その感情も、しっかりと感じ取ってください。

感情は味わいきると、去っていきます。

そうすると、なんと「やる気」が湧いてくるんですよ!

もう、どんな自分も否定したくない。

自分の認め方を知りたい。感情の味わい方を知りたい。

そんな方は、ぜひ笑み育カウンセリングを体験してくださいね。

どう自己肯定してあげたらいいのかが、腹落ちできるようになりますよ^^

本日も読んでくださりありがとうございます。