母親が苦手。
毒親っていうわけでもない。
すごく嫌いとか、憎いとかもなくて、なんなら自分のことを大切にしてくれていたという自覚もある。
母親も、大変だったんだろうという理解もある。
けど、母親が苦手。
母の日とか、誕生日とかどう関わったらいいか悩む。
母親との関係がいい人のSNSとかみるとモヤってする。
「ありがとう。」なんて、とても言えない。
なんなら、必要以上に関わらずに生きていきたい。
そんな母親が苦手な人の本質は、
とっても、とっても、愛情深い人です。
ケタ違いの愛情深さを持っています。
母親のことを心から大事にできないのに、愛情深い??
って、意味が分からないかもしれませんが、本当です。
母親という存在
まだ、私たちが小さな子どもだった頃、母親は絶対的な存在でした。
生きていくのに、必要不可欠な存在だった。
生命を存続させるためにも。
心の土台を作っていくためにも。
母親のことを大好きで生きていくって、人が生きていくための最高・最強の能力だったんだと思うなぁ。
母親と子どもの心のシステムって、そのぐらい密接です。
そのぐらい密接だったのに、なぜ今母親のことが苦手になっちゃったのか??
それは、母親を大好きでいることを諦めて拒絶してしまったからです。
諦めて、拒絶したのにも理由があります。
それは、母親が自分の愛を受け取ってくれなかったから。
(正確には、受け取ってもらえないと解釈してしまっただけ。)
子どもほど、愛情深い生物っていない。
ほどこされる。育ててもらう。愛してもらうばかりじゃない。
何よりも、愛することを使命にしてる。
「お母さんを幸せにするために生まれてきた。」
とか言っちゃうけど、これはマジな話なのです。
お母さんの笑顔をみたい。
なのに、愛情表現をすればするほど、お母さんは怒る。
不機嫌になる。
表情が険しくなる。
そして、悲しそう。
そんな経験を、繰り返すうちに、諦めちゃった。
拒絶しちゃった。嫌いになっちゃった。苦手になっちゃった。
だからこそ、
私の愛は受け取ってもらう価値がない。
そう思い込んで、自分に刷り込んでいく。
(上手く言語化できるわけじゃないけどね。)
大人になってからも、仲良くなりたい人がいるんだけど、その人が自分に素っ気なかったりすると、なんだか悲しくなる。怖くなる。
自分の存在価値が揺らぐから。
その人といると傷つくから、近づかなくなる。
そう。
母親が苦手なのって、もう傷つきたくないからなの。
もう、十分傷ついてきたから。
傷つきやすいのは、愛情が深かったから。
受け取ってもらえないと感じた悲しみを、怖さを、今も消化できずにいるから。
また、傷つくのが怖いから。
また傷ついて、悲しむことを避けるために、苦手意識を持っておく。
いつでも、逃げられるように。
いつでも、自分を守れるように。
諦めたり、拒絶するのも、自分の中にある欲求なのです。
けれど、母親だって大変。
子どもの愛情表現って、大人の持っている愛情表現とはまた違う。
行動の全てが愛情表現。
特に、母親とは一心同体です。
自分の喜びがお母さんの喜びになるだろうと信じて疑わない。
「見て見てーーー!!!」
「聞いて!聞いてーーーーー!!」
「遊んで!遊んでーーーーー!!!」
も、全て、愛情表現。笑
そもそも、子どもって自分のことも大好きだから、自分の嬉しいこと、望んでることは、そりゃーお母さんも嬉しいでしょ??っていう程で、エネルギー全開で表現してくる。
現実社会で生きているお母さんにとっては、しんどくなる時もある。
それって、子どもへの愛情とは別問題なのに、しんどそうな様子を見て子どもが「自分の愛情表現はお母さんを苦しめる」って解釈してしまう。
愛情深かったからこそ、愛がゆえに、愛することを諦めて、拒絶してしまった。
その手段が、お母さんを苦手な人にしておくことです。
親を大切にできない自分は、欠陥があるように感じてしまう。
自己嫌悪や、罪悪感が湧いてしまう。
だとしたら、確かに、深い愛があったのです。
自分の中の深い愛情を確かめたい時は、笑み育カウンセリングを一度受けてみてくださいね。
親とに関係に悩んでる時間って、勿体無いから。
親との間に、確かに愛情のやりとりがあったことに気づけると、今大切な身近な人との現実が大きく変化しますよ!