私にとっての母親
『母親が嫌いです。』って言えたらいいんだけど、自分の母親のことを嫌いって言っちゃうような人間は恥ずかしい。人としてどうかと思う。
とか考えちゃう人は、「母親がちょっと苦手」とか「母親との問題は特に思いつきません」って、やんわりした表現を使っちゃいます。
私は、
母親が大っ嫌いでした。
周りの友達のお母さんが羨ましくて仕方がなかった。
けれど、
そんな気持ちを持っていることが周りにバレたら、人としてバカにされる。かわいそうな人だと思われる。ダメ人間の思われるのが怖くて、怖くて、怖くて、ずっと、問題のないフリをしていました。
仲良くなれるなら仲良くなってみたかったけど、私の心は到底母親を受け入れることができませんでした。
私の人生からいなくなってほしい、、、とまで、思っていたのです。
そんな風に思っているから、自分も母親になるなんて怖くて仕方がない時期がありました。
同じ県内に住んでいても、年に1.2回会う程度。
それも、半日が限界。
常識的に会っておかないと、、、、という理由で会っていました。
そうでしかいられないことに罪悪感もあり、自分は欠陥人間だと思っていました。
ずっと、母という存在を見て見ぬ振りをしてきたけれど、それができなくなったのが、第二子妊娠中に切迫早産となり、ベッド上で90日間動けなくなった時。
今まで遠ざけていた母親に、自分の家族のことをお願いしなくちゃいけなくなったからでした。
もうその時は、これまで感じたことのないような怒りで、まさに絶望どん底。
母親に私の大切なものを全て奪われるような感覚でした。
気が狂いそうになるって体験をしたのです。
ずっと、見て見ぬ振りをしていてもね、こうやってちゃんとサインがくるのが人生のシステムなのです^^
なんで、私はこんなにもお母さんのことを受け入れることができないのか。
普通にみんなできることがなんで私にはできないのか。
(普通じゃない人々は山ほどいると後に知るのですが)
私、おかしい。
なんとかしなくちゃ。
そう思って、カウンセリングを受けることにしたのです。
私も、はじめは相談者でした^^
切迫早産のことがなければ、今も母と必死で距離を取りながら、モヤモヤを押し込めて生きていたと思います。
なぜ『嫌な気持ち』を持ち続けてしまうのか
はっきり言って、子供の頃、母親との関わりの中で理不尽なことなんて山ほどあったでしょう?
え?思い出せない??
それはね、我慢しちゃったから思い出せないのです^^
人間の記憶は「感情」によって整理されます。
記憶をきちんと整理するためには、その時、その体験であふれてきた感情を、そのまま正直に感じてあげる必要があります。
感情を抑えつけたり、我慢したりして、その時の正直な感情を抱くことができなかったら、整理されない「嫌な気持ち」がいつまでも体験と分離して自分の中に残ってしまいます。
実は、そんな「嫌な気持ち」を、大人になった今の人生の中でも再体験をして、パートナーシップや子育て、友人関係、仕事を通して、自分を不機嫌にしたり、不愉快にします。
だから、もし大人になった今も、母親に会うとなんだか不快な感じ(嫌悪感、罪悪感、無力感、みじめ、イライラ、モヤモヤ、拒絶など)がしちゃったり、苦手意識が強いのだとしたら、子どもの頃の母親との関わりの中で置いてけぼりになった未完了の感情があるかもしれません。
未完了の感情は、完了して整理されるまで、ずっとサインを出し続けます。
これが、感情のメカニズムなのです。
あるクライアントさんのお話です。
小さな頃、いつもは周りの目を気にしてばかりで感情を表に出さないお母さんが、人目をはばからず泣いてる姿を見て、後ろからそっと抱きしめようとしたんですって。
そしたら、お母さんは怒った表情をして、手を思いっきり振り払われちゃった。
だから、その場を離れたんですっていう記憶だったんだけど、その時の自分がどんな感情を感じたのか、はじめは全く思い出せなかった。悲しい思い出とかいうわけでもなく、こんなことがありました〜。くらいの表現だったのです。
セッションを続けていくと、本当はお母さんのことをすごく心配して、なんとかしてあげたい気持ちだったこと。手を振り払われた時に、怖さと悲しみでいっぱいだったけど、周りに人もいるから、自分も泣いたらお母さんに迷惑がかかるって、気持ちを我慢してその場から逃げるようにして離れたんだってことが分かりました。
それにね、
本当はなんで私の気持ちを分かってくれないの?
なんで、お母さんのことを思っているのに、怒るの?
そんなことされたら、私だって悲しいのになんで冷たくするの?
私はいなくてもいい子なの?
私といると、恥ずかしいの?
っていう、気持ちがあったことに気がつきました。
あったけど、表現する場も、受け止めてくれる人もいなくて、なんでもなかったように過ごすしかなかった。
自分の気持ちを押し殺すしかなかった。
大人になって、セッションの中で初めて、あの時私は悲しかったんだ。怖かったんだ。そして、怒れたんだ。と、気づいて、その時の体験と感情が一致したのです。
小さな頃に表現して整理されることのなかった未完了の感情は、消えることなく自分の中に留まり続けます。
そして、ある時、溜まりに溜まって爆発します。
私が、切迫早産入院中のベッドの上で、爆発してしまったようにね。
私たちは母親と過ごす時間が長かったからこそ、母親との間での未完了の感情をより多く握ってしまっています。
そもそも、その母親だって未完了の感情を抱えたまま子育てをしているから、子どもだった私たちが引き継いじゃっている。
お母さんのことが苦手でもいい。
お母さんのことが嫌いでもいい。
そうなったのには、そうなっただけの理由があった。
あなたが悪かったわけじゃない。
そしてね、お母さんだって悪くない。
もし、母親から害を受けたと感じるならば、加害者は被害者からしか生まれない。
かといって、もう我慢する必要もないのです。
大人という生き物。母親という生命体。
子どもの頃、大人の言うことが全て正解の世界で生きていたけれど、大人になって思うことは、大人ってすごく未熟で理不尽で身勝手な生き物だっていうこと。
子どもを随分、振り回して生きていると思うのです。
自分が母親になってみて、よ〜く分かりました。
私は、未熟で理不尽で身勝手な母親です^^
自分のことで、精一杯だもん。
子どもの方が、ずっとシンプルで、寛容で、優しくて、愛が深い。
もし今、母親のことが苦手だと感じられているならば、それはチャンスです。
あの頃のお母さんの理不尽さを怒ろう。
あの頃のお母さんの身勝手さを怒ろう。
あの頃、お母さんのために沢山我慢するしかなかったことを嘆こう。
あの頃の自分の感情を、もう一度感じてあげよう。
無力だった自分を許してあげよう。
そして、何より、愛情深かった自分を愛おしもう。
私も自分と向き合う中で、母に対する怒り、恨みつらみを山ほど吐き出しました。沢山嘆きました。
(今の母親と傷つけ合わない方法でね。)
そしたらね、ある時、駅のホームで電車を待って立っている時に、ブワーーーーーーーーっときたのです。
『あぁ、私はお母さんを幸せにしたいだけだった』って。
到着した電車に乗り込んで人目もはばからず、むせび泣きました。
嫌いの奥底にあったのは、「お母さんの幸せ」への願いだった。
だからこそ、我慢して、感情にフタをして、未完了の感情を積み上げていった。
苦しい生き方を身につけちゃった。
なんだ。
大っ嫌いの理由は、愛だったのか。
そう気づいてすごく安堵して、ちょっと悔しかった。笑
母を嫌うことしかできなかったダメな娘としての自分を、ようやく許してあげられたのです。
母親は不器用で未熟だった。
子どもはお母さんを幸せにしたかったけど無力だった。
だから、苦手意識と、嫌いを重ねちゃった。
そして、大人になった私たちだって、不器用で未熟。
子どもの頃、置いてけぼりにした感情を見つけてあげるのが、幸せになる秘訣です。
一緒に、見つけましょう♫
未完了の感情を完了させて、「今」を生きるのです。