子育て

子どもの自由な心を育むために必要なたった一つの体験

こんにちわ^^
笑み育カウンセラーの大野純子です。

本日のテーマは、

『子どもにとって何よりも大切な心を育む体験』です。

子どもに最も必要な体験

 

それは、
「許される」体験です。

もっと言えば、
「許されたと自覚できる」体験です。

人は様々な体験を得ながら、
自分の価値観判断基準を培っていきます。

それは、生まれた瞬間からの体験の積み重ねです。

私の体験

私と母親との関係の中に起こった体験を通してみていきますね。

私の母には、お気に入りのセリフがありました。
それは、

「働かざるもの食うべからず」です。

掃除をしない子は、家に住んではいけません。

料理や洗い物をしない子は、ご飯を食べてはいけません。

だから、掃除をしなさい。
料理をしなさい。お茶碗を洗いなさい。

ちゃんとできないあなた、
やる気のないあなた、
面倒くさがりのあなたは
ダメです。

そんなあなたは、
価値のない人間です。

こんなニュアンスで、母の思いや考え方は、私に伝わっていました。

最後の『価値がない人間』っていうセリフが、実は実際に母に言われた覚えはないのですが、しっかりと、私の中に無意識に根付いていました。

だから、私の価値観の中には、

ちゃんとできない人はダメ。
やる気のない人はダメ。
面倒臭がりな人はダメ。

脳は、主語を持ちません。

だから、私もダメ。
そんな周りの人もダメ。
になっていきます。

自分にも、人にも厳しくなってしまっていました。

責められながら、怒られながらやることに
<楽しみ>は見出せません。

本当は、家事だって楽しんでやりたい。

けれど、私は過去の体験から、<楽しむ>ことができなくなってしまいました。

母は、家事ができる子に育てたかったけど、母のアプローチは、
家事嫌いな子に育て上げてしまったのです!!

残念〜!笑

けれど、私の家事嫌いは、もはや母の問題ではなく、今の私の問題です。

「許されなかった」という過去の禁止や拒絶の体験を通している限り、私にとっては、家事は苦痛の所業です。

今、少しづつ家事を楽しむ力をつけております〜。

私が欲しかったもの。

あの時、私が欲しかったのは、
『許し』でした。

上手に掃除できなくても、許して欲しかった。

料理の彩りが悪くても、許して欲しかった。

家事よりも、遊びを優先しても許して欲しかった。

では、私は許されていなかったのかというと・・・?

実際、結局のところ、私は許されていたのです。

だって、今生きているから。

あの頃、よく怒られていたけれど、ご飯だって食べられたし、着る服もありました。学校にも行けた。
家を出されることもなかった。

母は、よく怒っていたし、あまり褒めてはくれなかったけど、許してくれていたのです。

許されていないと思っていたのは、
自分でした。

許されていた実感を全く持てずに、罪意識を重ねていました。

ちゃんとできなくて、面倒くさがりな自分を、自分が許せなくなっていたのです。

これが、
俗にいう思い込みってやつです。

「許し」って、甘やかしとは違います。

許しと甘やかしの違い

例えば、
子どもがダラダラしながらテレビを観ています。
まだ宿題をしていない。

その姿をみると、
自分の中にどんな感情が湧きますか?

どんな考え方が湧きますか?

そのまま、毎日毎日、ダラダラして宿題をしないでいるのを
許していたら、どうなっちゃうと思いますか?

許したら、
だらしのない子になる。
ダメな子になる。
クセになる。
ダラダラする子は恥ずかしい。
そんな子の母親である私もダメな母親だ。
親のしつけがなてないと思われる。
そんな子は、世の中で生きていけない。
学校でバカにされる。イジメられる。。。
・・・・etc

不安や恐れの感情を伴った考え方(思考)が
山ほど出てきませんか?

自分が許されなかったと思っていることは、
必ずといっていいほど、子どもにも許せません。

私たちはその価値観を、
自分の過去の体験のどこで手に入れたでしょうか?

目の前の子どもが問題なのではなくて、自分が過去の体験の中で受け取った思い込みが原因の場合がずっと多いのです。

許すというのは、毎日ダラダラして、宿題をしなくていいよって
ことではありません。

今、宿題をしたくないという気持ちを持っているということ。

今、テレビを観たい気分だっていうこと。

今、ダラダラしていたいんだっていうこと。

一見、親からしたら良くみえない行動の中にも、子どもの意思があります。

子どもにだって、こうしたい!っていう気持ちがある。

その思いを持っていることを、許すことです。

どんな自分であっても、許してもらえたと自覚できた時、このままの自分でいてもいいんだと感じられます。

自分は、そこに存在していていい。
このままで価値のある人間だと感じ取ることができるのです。

だから、
もし、子どもに腹が立って怒ってしまった。

そうしたら、
怒ってしまった自分も一緒に許してあげてください。

怒った自分を許せないでいるのは、あなた自身だから。

子どもだけじゃない。

私たちにだって、<許し>が必要なんです。

怒る行為は、子どもを傷つけてしまうかもしれない。

けれど、その怒りの下にあるあなたの<思い>は、決して悪いものでないことを知っています。

そして、

怒ってしまったけれど、
どんなあなただって大好きだということ。

どんなあなただって、大切だということ。

どんなあなただって、私は絶対に見捨てないということを、お子さんに言葉で伝えてください。

そして、体の触れ合いをもてたなら、なお最高。

どんな自分でも、許されていることを自覚すること。

それは、子どもの心を自由にします。

親子の信頼をぐっと深めてくれます。

私たちには、許される価値があるから。

本日も読んでいただきありがとうございました。