あるクライアントさんが、
「死ぬとき後悔しないように好きなことをやりたい!」ってメッセージをくださったんです。
好きなことをやりたい!って気持ちをもてることって素敵です♡
けれど、その目的が「死ぬときに後悔しないため」だとしたら、ちょっと待ったーーーー!ですよ^^
言葉のあや、かもしれませんが、よく使う言葉は自分の意識が関わっています。
ですので、肯定的な考えのようにみえて否定的なニュアンスを含んでいると、否定に引っ張られてしまいます。
『後悔しない人生を歩もう』はよく見聞きするテーマです。
今回はこの言葉について、とことん掘り下げてみますね^^
後悔はしてはいけないものなのか
何かをやるときに、「後悔するか・しないか」を判断基準にしているとしたら、常に「後悔」のフィルターをもって生きていることになります。
死ぬ時に限らなくても、『後悔しないように』生きることが大切で後悔することは悪かのような世の中の風潮があります。
後悔とは、
選択した行動の結果が期待外れに終わった時などの時のことをいい、『後で悔いる』状態です。
そもそも、後悔ってしちゃいけないものなんでしょうか?
「悔いる」ことってダメなことでしょうか?
「後悔してはいけない」という考え方がもし自分の中にあるとしたら、それは人生のいつ受け取ったでしょうか?
はい^^
子どもの頃、身近な大人との間です。
大人というのは、我が子が後悔したり悔やんで辛そうにしたり、悲しそうにする姿をみるのをひどく恐れます。
そして、子どもが大人になって後悔しないような人生に導いてあげたいと思います。
親が後悔を恐れるのは、親自身が持っている罪悪感と劣等感が理由です。
後悔を恐れながら子どもに関わると、期待の通りに動いてくれなかった時に
例えば、こんなことを言ってしまいます。
「ゲームばっかりやってたら、大人になって後悔するからね!」
(この言葉は完全に子どもに「大人になったらあなたは後悔する」と刷り込んでいます。汗)
そして、すごく残念そうにしたり、不機嫌になったり、攻めたり、悲しんだりします。
子どもは、その親の反応に対して、自分という存在自体に『後悔』をするのです。
そして、罪悪感と劣等感をしっかりと受け取ります。
ですので、後悔を恐れながら好きなことをやるって、なかなか至難の業ですよね^^
悔いることを恐れる時は、罪悪感と劣等感が自分の中にある時です。
そして、自分そのものが『後悔』の塊なのです。
好きなことをやったら後悔しない?
好きなことをやれたら人生は後悔がないだろうってことになりますが、残念ながら本当に好きなことを突き抜けてやるとしたら、それはまぁ後悔もしないと前には進めません。
好きなことをやるなら後悔はつきものだって思っておいたほうがいい。
そのためには、好きなことをやる前に、好きなことをやるのと同時に、自分の中にある罪悪感や劣等感と向き合っていく必要があります。
罪悪感や劣等感の存在を認めて、許した時、『後悔』という作業は、前に進む原動力になります。
死ぬ時の後悔について考える。
人は後悔することがあるから後悔をするのではなくて、『後悔』という作業を通して、人生に絶望を感じて、嘆いて、それでも自分を人生の最後の最後で許すために『後悔』を使うと思うのです。
それをはたから見ている人が、こんなにも人生の最期で後悔するなんてかわいそう、、、、って思うのだとしたら、そんな失礼な話はないわけです^^
後悔は、本当は「なりたかった自分」「ありたかった自分」を見せてくれます。
自分の本心、本音に導いてくれるのです。
大野は、看護師人生の中で緩和ケア病棟にも勤めていたので、人生の最期を過ごされる方と多くの時間を共にしてきました。
堰を切ったように過去の懺悔をする患者さんにも出会いました。
そこに、いい悪いなしにただただ聴く。
そうすると、後悔を口にした後、安堵されるのです。
そう、ちゃんと後悔すると人は安心できる力がある。
だから、後悔できることを見つけられてよかったね。って気持ちでそばにいる。
後悔は口にすると絶望に変わります。人生の最期ならなおさらです。
けれど、ちゃんと絶望しきるとそれは希望に変わるのです。
たとえ人生の最期であっても。
人にとって、自分のことを許せることほどの希望はありません。
人生の中では自分に必要なことしか起こりません。
必要であればどんなことでも人は後悔にすることができます。
(好きなことやってきたことすら後悔にもできます♡)
『後悔はしてもいい』
そう、自分に許してあげてください。
それこそが、自由ですよ^^
後悔することを許せた時、後悔しない人生がやってきます^^