今回のテーマは「母親を嫌いな最大の理由」についてです。
私が母親を嫌いになった経緯
私は、気付いた時には母が嫌いでした。
なんていうか、大っ嫌いでした。
なんでこんな母親なんだろうって、
小さな頃からずっと思っていました。
そして、母に対してそういう感情を抱いている自分も嫌でした。
母親と仲良くしている友達への劣等感や羨ましさもありました。
そういう母親でしかいてくれないことへの怒りもありました。
とにかく、あの母であることが、私にとっては、恥ずかしくてたまらなかったのです。
自分の汚点のように感じていました。
どんな母だったかというと…
私に対して、とっても口うるさかったのです。
「ああするべき。こうするべき。」
「ああしなさい。こうしなさい。」
私に対して、いつも怒っていたし、
手もよく挙げられていました。
私がどんな気持ちでいるのか、
どう考えているのかを受け止めてもらえたと実感できた経験が記憶にありません。
つまり母は私を否定する人だったのです。
私は、母にとってダメな子なんだと感じていました。
そして、母という存在にいつも怯えていました。
だからと言って、
母の言うことが正しいと感じていたわけではなく、
いつも、反抗心を心の中に持っていました。
そして、母への「大っ嫌い」を育てていたのです。
母から否定されたと感じたように、
私も母という存在を否定して生きてきました。
そして、大人になってからは、
家を出て、距離をとることでなんとかバランスをとっていました。
イライラが止まらなくなるので、
会うのも、半日が精一杯。
そんな感じで誤魔化して生きてきました。
大人になって押し寄せてきた母への怒り
ところが、2人目の妊娠中に大きな変化がありました。
切迫早産となり、
2ヶ月半のベッド上の入院生活を余儀なくされた時、
母を頼らなくてはならなくなったのです。
早産への不安と相まって、
母への怒りの感情が押し寄せてどうにもならなくなりました。
そして、会うことすらできなくなりました。
それから、1年間、
自分の感情や考え方と向き合い続けました。
「私はお母さんの役に立ちたかったんだ。」
「私はお母さんのことが本当は好きだったんじゃない?」
と、感じられるようになっていきました。
これは、とっても大きな変化。
私の記憶にある母と、いま現在の母は別物だと感じられるようになったのです。
そうしたら、再び会うことができるようになりました。
なぜか以前、抱えていたイライラは、もう湧かなくなりました。
母親を嫌いになった最大の理由
そしてその後インナーチャイルドセラピーを学んで
カウンセラーになって、
母を嫌いになった最大の理由に出会ったのです。
それは、
「お母さんは、私に笑ってくれない。」
「私は、お母さんを笑わせられない。」
という感情。
あぁ、私にとって、
怒られることよりも何よりも辛かったのは、
母を笑顔にする力が、自分にはないと感じていたことでした。
私を怒っていても、訪問者があるとコロッと機嫌が変わって笑っている。
私に説教をしていても、電話がかかってくると楽しそうに話している。
私には厳しくても、私の友達には優しい母。
私の前では不機嫌な母が、他人の前ではご機嫌になる。
その姿を見るたびに、私には、お母さんを幸せにする力はない。
そんな失望感を、私は言語化することができないような小さな頃から、握りしめたようなのです。
だから私は、人を不快にさせることに対して、恐怖心人一倍強かったのです。
顔色を伺ってしまったり、言いたいことを言えなかったりしてしまう。
その根底には、
<母を笑顔にできなかった自分への無価値感>がありました。
私が誰よりも、無意識のうちに
<私には母(人)を笑顔にする価値がない>と信じ切ってしまっていたのです。
私は、喜びを与えられない人間。
私は人を不快にしてしまう。
母の笑顔が自分に向けられていないと感じたことによって、
極端な思い込みをしっかりと握ったのです。
けれど母が不機嫌だったことに、私の罪は、何一つなかった。
ただ、母が怯えていただけだった。
それは、私が不幸になることを怯えていたのです。
私が辛かったり、苦しむことを恐れていたのです。
でも、私に本来必要だったのは、母の<笑顔>でした。
「お母さん、なんで私に笑ってくれないの?」
小さな頃は、言葉にできなかった思いを、今ようやく言葉にしてあげることができました。
あなたのお母さんは、あなたに笑顔を向けてくれていましたか?
あなたのお母さんは、幸せそうにしていましたか?
お母さんが笑っていたら、子どもは最高に幸せ。
お母さんの笑顔が、子どもの生きる価値になる。
だからあなたにも笑顔でいて欲しい。
お母さんがまず自分を愛して欲しい。
本日もお読みいただきありがとうございました。