今日のテーマは認知症。
まだまだ若い読者さんにとっては、関係のないテーマのように感じるかもしれませんが、長生きすれば避けては通れない道です。
80歳以上の高齢者の40%は認知症になるとも言われています。
予防医学は進むかもしれないけれど、私も、あなたも、認知症になる可能性は高いのですよ。
<認知症になる>ってどんなイメージですか?
認知症になると大変で不幸かっていったら、それは完全にNOです^^
もちろん、大変で不幸に見える方もいるのですが・・・・
圧倒的に愛されて、幸せな認知症の方も沢山います!
それには、訳があります。
看護師人生18年の中で、何千人という認知症の方と出会ってきました。
その中で、認知症になって、なんでこんなにも幸せそうな人と、大変そうな人の差が出てくるのだろうと疑問でした。
けれど、心理を学びカウンセラーになったことでその理由が明確になったのです^^
少し、認知症の理解についてお話をします。
認知症の症状
中核症状と行動・心理症状(周辺症状)の2種類に分けられます。
中核症状の代表例
記憶障害:新しい出来事や事柄を覚えられない。
見当識障害:時間や場所、人の顔がわからなくなる。
判断力障害:論理的思考ができなくなる。
実行機能障害:順序立てて物事を進められない。
行動・心理症状(周辺症状)代表例
妄想、不潔行為、異食・過食、睡眠障害、興奮・攻撃、徘徊、介護抵抗、抑うつ、無関心、不安・焦燥etc
こちらの症状は、本来の性格、生活環境が大きく影響します。
認知症になるまでのその人の価値観や生き方が色濃く影響するのです。
どんな信念や思い込みを持って生きてきたかによって、症状の出方が変わります。
中核症状は進行するかもしれない。
けれど、行動・心理症状はある程度、自分次第。ということです。
では、どんな認知症の方が愛されるのか。幸せそうなのでしょうか?
私が最も愛した認知症の村上さん
村上さんはおじいちゃん。
かれこれ15年ほど前に出会います。
80歳代で、出会った時には認知症が進行していました。
けれど、私はこの村上さんが猛烈に大好きになってしまったのです。
いつもニコニコしています。(どちらかといえば、ヘラヘラかな・・・)
自分が一人で動けないことも、ちっとも気にする様子がありません。
なんなら、甘えてきます。
抱え上げて、車椅子に移乗する時も、私を抱きしめ返して、背中をポンポンッとしながら「俺の甘い棒いるかぁ〜」ってニコニコしながら聞くんです。(ニヤニヤかな・・・)
エロかったですが、気持ち悪さ0%で、愛おしさ100%でした。
私の名前も、顔も覚えてなかったけれど、いつも私のことを笑顔で迎えてくれました。(エロい目でも見ていましたが。笑)
忘れていくこと、できなくなっていくことは、時に悲しくて辛いけれど、そこに争わず、流れに身を任すことができる力と、執着しない力を持っていました。
そして、村上さんになかったのは、人に対する不信感や疑いです。
一貫して、目の前にいる相手を、全面的に受け入れて、自分のお世話を任せてしまえる。
そして、感謝の気持ちがいつもありました。
人を責めたり、攻撃する様子は一度も見たことがありませんでした。
そして、自分を卑下したりする様子も一度も見たことがありませんでした。
時々、オムツは外してましたけど・・・笑。
過去や未来に悲観せず、ただ<今>の状況を受け入れ、目の前にいる人と優しい(+エロい)コミュニケーションをとって穏やかに過ごしていました。
だから、スタッフのアイドルでした。
癒しでした。
村上さんがいたから、仕事が楽しかった。と言っても過言でないほど、私の元気の源になってくれていたのです。
認知症になってからでも、誰かの役に立てるのです。
何ができるからとか関係ありません。
存在そのものが、役に立ってしまうのです。
これこそが、最強の<ありのままの姿で愛される>です。
自分が動けなくなったり、これまでの役割を果たせなくなったり、人の手を借りなくてはいけなくなったとしても、生きて存在する価値って確実にある。
何よりも、村上さん自身がそこに疑いを持っていませんでした。
そう、彼は自己肯定感の塊でした。
塊だったけど、生涯<自己肯定感>について考えたこともないような人でした。笑
当たり前にやれていたことが、できなくなっていく。
分かっていたことが、分からなくなっていく。
できていたことが、処理できなくなっていく。
そんな時に、自分のことが信頼できず、周りの人のことも、信じられなかったら?
何を信じられるかというと<何もできなくても愛される自分>であるということをです。
妻として、母として、祖母として、友人として、社会の一員として、相手の力になれなくなったとしても、変わらない絆を持って、愛される自分であると信じられるか。
愛してくれる相手であると信じられるか。
私だったら、妻として、母として、カウンセラーとして、看護師として、なーーーーーーんにも出来なくなっても、歩けなくなっても、一人でトイレに行けなくなっても、上手く考えられなくなっても、喋れなくなっても、覚えていられなくなっても、愛されている確信がありますか?
ということです。
何もできなくなった時にも、あなたは愛されますか?
そこへの確信度合いが、認知症の症状に大きく影響します。
確信が持てなければ、認知症になるということは恐怖です。
いつの間にか、周りが敵のように感じてしまう。
毎日が不安でたまらなくなってしまう。
看護師時代、一番身近な家族を敵視する人をみてきました。
自分の居場所を感じられず、ずっと徘徊する人の後ろをついて歩きました。
殴られたり、蹴られたりもしました。
どれだけ酷い目にあったか、同じ話を何十回とする人の話に耳を傾けました。
だから私は、認知症だけにはなりたくないなと思っていました。
けれど、認知症という病気が悪いのではなかった。
世界は優しいと信じられたなら。
自分は愛されていると信じられたなら。
どんな場所、どんな状態でも、安心して生きていけるのだと思います。
人生の最後の時期に、人に身を委ねる体験ができるって、素晴らしいことだと思います。
その力を育むのは今からです。
可愛くて愛される認知症になるために、手に入れたいたった2つ習慣。
1日1回甘えてみよう!!
あと、40年後に認知症になるのだとしたら。
14600回甘えられます♡
1日1回『どうせ、愛されているし!』と言ってみよう!
あと、40年後に認知症になるのだとしたら。
14600回言えます♡
それだけ、愛されていると言って、甘えられたら、40年後は間違いなく、可愛くて愛されるおばあちゃんになっちゃう!!
たとえ、認知症だったとしても。
自分を許して、完璧ではない自分を愛おしむ。
そして、周りに甘えてみる。
今だからこそできる積み重ねが、認知症になっても愛されて、なんならそこにいるだけで、人の役に立つ。
そんなおばあちゃんになれる気しかしなくなってきましたね♡
私も、愛されるおばあちゃんになります♡
最後に、
一概に認知症といっても、脳のどの部分が障害されているかによっては、ネガティブな症状が顕著に現れる場合もあります^^
そして、もし認知症で辛い症状が出たとしても、その人が悪いわけではありません。
誰もが、一生懸命に生きているのですから。
どんなときも、誰かが、必ず力になってくれます。