自分との関係

自分の冷たさも、優しさも受け入れて生きていく。

両極端な自分

こんばんわ。
大野純子です。

人は、両極端な自分を持っていても
いいと思います。

優しいのに、冷たい。

強いのに、弱い。

面倒見がいいけど、自分勝手。

愛情深いけど、嫉妬深い。

などなど。

相反する自分を持っていて、当たり前。

それこそ、人間だと思うのです。

そこを否定すると、
摩擦が起こる。

ストレスになる。

生きづらさになる。

私は長らく、
自分のことを、『冷たい人間』だと思って生きてきました。

そして、そんな自分はダメな人間だとも、思っていました。

自分の中にある<冷たさ>みたいな部分を
否定してきたのです。

そうすると、
自分の中にある<優しさ>は偽物に思えました。

自分の優しさが見えると、
『冷たい人間のくせに、偽善者だ』って、
思ってました。

誰よりも、自分が自分の優しさを否定していたのです。

そうなると、冷たくても、優しくても、
もう、どんな自分であっても、
ダメってことになります。

だから、自分がわからなくなる。

それは、とっても生きづらく、苦しいことです。

優しい人は、冷たさなんてないんだろうと
思っていたのです。

けれど、それは、大きな勘違いでした。

本当に優しい人は、
必ず冷たさも持ち合わせています。

けれど、その冷たさで、
相手を拒絶したり否定しないだけです。

冷静な判断力になります。

冷たさを持ってして、
愛情を表現することができるのです。

両端成してこそ、
自分が在る。

両極端な自分こそ、
愛してもいい。

受け入れていい。

自分の中に、
<悪>はないと、信じてもいい。

私は、シビアな人間だけれども、
そこを活かしてこそ、
私らしい優しさが発揮できると思います。

私の冷たさを潰したら、
私の優しさも潰れる。

それが、個性であり。
人間味であり。
クセになり。

圧倒的に愛される理由になるのだと思います。

『私は優しくてもいい』
そう思えることが、今、とっても嬉しいです。

そもそも私は、生まれながらにして、
めちゃくちゃ優しい子だったはずなのです。

けれど、その優しさを身近な人達に受け取ってもらえない経験を
繰り返していきます。

経験ありませんか?

子どもの頃、
お母さんが喜ぶと思ってやったことを
「何でいらんことするの!」って怒られたり、
「余分なことしないで。」ってたしなめられたり。

ただ、親の笑顔が見たくてやった素直な優しさが、
アダとなって、親を怒らせたり、悲しませたり、
嫌な顔をされたことがありませんか?

私、この経験が結構多かった。

優しさを表現する度に、
私は悲しい思いをします。

そうすると、悲しむのは辛いので、
優しさを表現できなくなります。

そうすると、
「冷たいね。」とか
「愛想がない。」
「気が利かない。」
とか、言われちゃう。

そして、「冷たい私」の出来上がり。

冷たい私は、私の心を守るためにできた分身です。
私が悲しまないように、必死で守ってくれた大切な存在です。

そう思うと、
なんだか、愛おしいでしょう?

だからね、
冷たければ、冷たい人ほど、
元々は、とっても優しい人だった。

いっぱい、傷ついて、必死に自分を守ってきたって、
思うのです。

身近に冷たい人がいたら、
「本当は優しいクセに!!」って、
心の中でいいので、思ってみてください。笑

少し、見方が変わるかもしれません。

私たちは、自分を変えようとする必要はなくて、これまで培ってきた見方や捉え方を変える訓練が必要です。

笑み育カウンセリングの中では、その訓練を丁寧に行なっていきます^^