人生について

死ぬ間際、人は人生に後悔するの?

こんにちわ^^
大野純子です。

『死ぬ間際に後悔しないために生きよう!やりたいことをやろう!』っている言葉を時々聞くけれど、死ぬ間際に人って後悔して生きると思いますか?

「死」っていうキーワードにドッキリしちゃう人もいるかもしれないけど、親との関係の中でも、自分の人生においても、とっても大切なことなので、読んでみてくださいね^^

私は人生の最後の時期にある人を、たくさん看させていただいた。
1000人くらい。

それは、病院の中で、ある一定のなだらかな経過の中で、人生の最期を過ごす人々。

20歳代から100歳代まで。

誰もが、母(父)として、妻(夫)として、子として、親として、社会人としての役割がある。

そして、誰かの役に立つこと、家族の世話をすること、貢献できることとか、何かを生み出せることが、自分の価値だと思って多くの人が生きている。

けれど、命に関わる病気になって、何かをしてあげることが叶わなくなる。

これまでの役割は、奪われたような感覚になる。

何か貢献して価値を生み出すことに自分の存在価値があった人は、絶望となる。

『こんな状態で生きている意味がない。』

今までの人生で感じたことのない感情を受け取り、内で耐える人もいれば、外に向ける人もいる。

表現する人も、表現しない人もいる。

そして、みんな『自分』という存在そのものと、向き合うことになる。

たとえ誰かの役に立てなかったとしても、

たとえ家で過ごせなくなったとしても、

たとえトイレに一人で行けなくとも、

たとえご飯が食べれなくなっても、

たとえ声を出す力がなくなったとしても、

たとえ自分で体を動かすことができなくなったとしても、

自分が存在していることが『許される』という時間を過ごした時、

人は本当の「ありのまま」の姿である自分と生きる時間をすごすのだと思う。

『役立たずでもいてもいい。』

これを受け取るために、最期の時間を過ごす。

そう、だから、
後悔なんてしている暇なんてなくないですか??笑

たとえ後悔したとしても、

『役に立たなくても存在していられる』

最後に行くつくのはここ。

そして、ベッドの上で、本当に一番自分が欲しかったものを、手に入れるんじゃないかなぁ〜。

人生の最期って、きっと人生で一番ドラマティックだと思っています。

私は、そんな姿を見てきた。

そんな姿を見ているから、死ぬ間際の後悔なんて、心配いらないですよ〜^^

人は、最期に自分に必要なものを、ちゃ〜んと受け取って、人生を終えると思うのです^^